クローン病での職歴と就労継続の難しさ

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クローン病

25歳で病気になり、色々な理由が有りますが、転職を6回しています。

細かいバイトを抜きです。

クローン病では寛解と再燃を繰り返し、寛解期には殆んど健常者と変わらず残業などもこなします。

しかし予兆のない下血「32歳位までは、前日普通便で翌日大量出血などが当たり前で、沢山の予定を台無しにしてきました。仕事での継続の難しさを振り返ります。

資格を取り車の整備士をしていました。

入社後仕事もなれて先輩や後輩ともうまくいっていて、とても充実した生活をしていました。

会社には内緒で24歳の時から同じ会社のフロントレディーとのお付き合いもしていてすべて満たされていたと思います。

仕事の忙しさは波が有り、年末などは夜中11時を超える時も有りましたが、身体を動かす仕事なのであっという間の感じで疲れもほとんど残らずこなしていました。

24歳の5月頃痔ろうに成り手術、数日で会社復帰、復帰後数日は痔ろうさんとからかわれましたね

ある日

数日前からなんとなく出血している様な?また痔かと思っていましたが、誕生日前日の夕方から出血夜9時ごろには動けなくなり救急車で入院が始まりでした。

当時の様子はクローン病発病で書いています👇

クローン病発病

会社は3か月程の休みを頂きました。当時はこれで終わり!日常生活に戻れると復帰後も整備士として就労していましたが、

復帰後数ヶ月で出血2ヵ月入院会社復帰後1月で出血入院1年半で数回の入退院を繰り返し、病気の特徴と、仕事継続の難しさを実感しました。

当時の治療はサラゾピリンとステロイド注腸しかなくコントロールが難しく、当時の担当医と相談し整備士の仕事を続けるのは難しいのと静養が必要と言われ、発病後1年半で退職に至りました。



静養かねてアルバイト

退職後半年は静養して、短時間アルバイトを始めました。入社時はお腹が弱く短時間から慣れたらフルタイムでと倉庫での輸入雑貨の仕分けを始めました。

久しぶりのアルバイト感覚で学生時代の様に責任も抱えずリラックスしながら作業が出来ました。身体も慣れ、2か月後にはフルタイムで就労を始め、順調でしたが

やはり【難病】出血にて2ヵ月入院を2年間で3~4回繰り返しました。アルバイトなので、休めば収入無し、出た分だけの収入なので、バイト先も理解有り2年務めさせてくれました。

将来を見越したアルバイト

30歳近くに成り将来の事も考えて派遣会社より機器製造業に転職、持病は伝えず、お腹が弱く通院中程度の問診、仕事内容はロボットアームの組み立て、配線ケーブル加工からはんだ付け、配線、組立と最高に楽しく学べる会社でした。

得意で有り好きな分野なので、仕事は慣れ社員雇用の話も出ていました。ここでも体調不良で休んだり、一回程入院しましたが理解してもらい、社員雇用の件は様子見になりましたが順調でした。

2001年9月11日のアメリカ同時多発事件までは、会社は海外への輸出部品が中心の子会社でしたので、仕事の受注がほぼ8割減りました

毎日が掃除と早退で、最終的に保証が無いまま自宅待機となり。1ヵ月後も目途が立たず、残念ですが退社です入院が無く社員雇用されていれば保証も有ったので悔しく思いました。

派遣社員で基板会社へ

今回は何か有っても大丈夫であろう、伝統が有り、人数も多く、6階建ての会社へ派遣社員として入社しました。とにかく将来安定し保証も有る会社を選びました。


持病は告げず、お腹弱く通院中と軽めな報告です。(いつもと一緒です)

 

6部署有る内の中間検査課に配属されました。製造業では珍しく座りながら出来る仕事内容でしたのでラッキーでした。

この会社は24時間稼働で交代勤務制です。自分は初めての交代勤務に成りますが、病気を持った自分が稼ぐためには交代勤務で手当てを貰える身体を作りたく選択の1つにもなりました。

仕事内容と人間関係はこの会社が1番築き上げ長く務める事が出来、自己を高められたと感謝しかない会社となりました。

残業も月平均50時間以上をこなし、交代勤務も気分転換となり安定した収入を得る事が出来ました。

初手術

やはり【難病】36歳時大量出血により緊急手術初の開腹手術でした。狭窄有りの回盲部で出血を繰り返す場所でした。

22日間の入院と1週間程の自宅静養で復帰、会社は理解して雇用継続。2か月後社員雇用と成りました。(^^♪

社員雇用

社員雇用され1年後に部署の主任がうつ状態で退社中間検査課の主任として部署を任される様になり。

部署は11人で内女子が3~4人で、主任を経験して人間関係や教育利益会社の仕組み人との関わり方成長と自分でも勉強しましたが、個人の人間力を上げてくれ沢山の経験を積む事が出来たと感じています。

突然倒産

平成17年7月の夕方社員と派遣社員約100名近くが集まった!

役員の不正(売り上げをごまかし、親会社に申告) 株式会社として信用がなくなり、融資などがストップして自己破産申請を開始したとの報告で9月いっぱいでの社員全員の解雇通知書を貰った。

突然の事でビックリしたが数ヵ月前に、役員5人が懲戒免職処分で解雇されていたので、何か有ったと思ったが倒産とは全てを失いました。

退職金も出ました。会社は余力を残し保証が払える状態で倒産に踏み切ったらしい。倒産とは言え社員の保証はきちっとしていました。



カップ容器製造業社員として入社

面接時は持病を告げず、いつものお腹弱く通院中のみ報告

今回の仕事は単純作業でパートさんがメインで稼働してる会社でした残業無しで会社としての決まりやルールも無く、自分の仕事をこなす、それも話しながら社員は自由な職場でした

パートさんが一生懸命働いて製品を作っていて、パートありきの職場でした。術後体調も良く毎日スポーツクラブに通っている程で、病気の事を忘れてしまうぐらいでした。

会社の事務の子ともお付き合いを始めていました相手はバツイチ子持ちで小学3年の女の子と1年生の男の子が居ました自分は彼女の仕事をしながら子供2人を育てる姿勢がとても好感を持ち好きになりました

基本真面目で頑張ってる人を好きになります。結婚も視野に入れてのお付き合いです。

突然の出血で2回目の手術

しかしクロー病が邪魔をします。

病院に通い薬を飲んでいても健常者と同じ様な生活は難しいと痛感しました

45歳での大量出血による手術で全てを捨てたいと思うようになりました仕事や恋愛が順調な時に出血で全てが嫌になりました。

30歳の時5年間付き合っていた人と別れた時と同じ心境でした。

入院中に決めました。家族を養う力と家族を守る勇気も無くなり家族は作らない

将来は両親の面倒を見るだけで良い、両親が死んだら次の日に死ねば良いと思うぐらい、クローン病の難しさを痛感しました。

当時付き合っていた彼女に...自信の無さと不安から

彼女には正直に話し別れてもらいました。2回目だ最低で弱い人間だと自覚した(>_<)

恋愛に付いて書いています👇
恋愛や結婚の悩み

退院後会社に復帰病気を話し理解してもらい就労に付いたが、心ここに有らずで仕事に興味もなくただ時間をつぶす感じが嫌で、転職を考えた

職安で職業訓練校を知り機械加工科が有り、以前したかった仕事へのチャンスが出来ると思い、職業訓練校を考えた。

次回職業訓練校へ つづく

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

職歴と就労継続の難しさNo2です

こちらからご覧ください。

クローン病での職歴と就労継続の難しさNo2

 

 

 

 

 

 

 

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